コンプレックスという名の多様性 いじめから離脱 学校に行くのは正解なのか?

2021年09月14日

その前に認知していただきたいのは

誰にもコンプレックスはあるということ

私は手が長い

既製品の服を買うとき腕に合わせると

胴の方が大きく

胴体に合わせると

袖の長さが足りないのである

私以外の人間にとってこれは

大したことはない

なんだそんなこと!

と思う方が9割以上だろう。

当の本人は深刻なのである

なんせ気にいる服がすくないのだから、、、

だから自分にジャストな服を見つけた時は

いくつも同じものを買うのである


このコンプレックスは中学の時の制服を買うときからである

子供にとって人生の半分以上を占める学校では

友達や同級生などといつも比べられている対象となり

袖の短い服を着ている私にとって

ダボダボのワイシャツを着ている私は

いつも気にして生活をしていたのだ


このようにコンプレックスの多く

は子供の時から持っている物がおおい

友達よりも背が高い人はのっぽと言われる

背が低い人はチビと言われる

歯が出ている人は出っ歯と言われる

癖毛の人はテンパーと言われる

ニキビがある人は言われないかもしれないが

できただけで行くのが嫌になる

子供の数だけあるだろう


なぜ気にするかというと

子供にとって自分と違うものというのは面白い

だからこそ違いが強調されやすい

それで終わればいいのだが、、、


グループになるときやペアになるとき

一緒にご飯を食べるとき

それが理由で仲間に入れないことがある

もっとひどいといじめになってきたりする


いじめの問題は深い

解決に時間はかかるだろう

無理と諦めている人もいるぐらいだ。


大人は理解できないかもしれないが

当の本人にとっては地獄のような日々なのである

なんせ人生の半分以上は学校なのだから

大人になるにつれていろんな世界を知っているから

よくある話程度にしか思わない

むしろ、自分の生活がかかっているプライオリティの高い方へ

注意がいきがちだ


また子供も一人の人間だ

大人に言ってもそれなりに対応してくれるだけ

言っても根本が解決されないことはわかっている

であれば親の仕事の邪魔をしたくないし

あんまりいうと怒らせてしまうかもしれないと

結構繊細になりだんだん言わなくなってくる


だから私は

今このコロナ禍において

学校に行けなくなったことは

いじめを受けている

心に傷を負った子どもたちにとっては

むしろ好都合だと考える

このままあの地獄のような生活が

6年、3年、3年

とすぎるのはあまりにも辛すぎる

公に行かなくてもいいとなったことは


いきたくない理由を考えていたり

どうしようもなくて無理矢理に行っていたり

自殺まで考えているような

辛い体験をしていた子供たちにとって

救いなのである



学校に行く理由について

私は学校に行くのは

どっちでもいいと思う

風の時代で個の時代が来る

今後において

個人で生きることができるようにならなければ

今後は生きて行くのが大変になる

今まで集団の中での存在感が大きかった人は

その能力を発揮する機会が大きく減少するため

しばらくは問題ないと思うが

そのうち逆転されるだろう


もうすでに個で生きている人が増えている

会社に属さないで生きている人が今どんどん増えている

今の会社社会が出来上がったように

個の時代が誰にでも提供できるようになったら

集団で何かをするスキルしか持っていない人は

ウザがられる存在だろう、、、


学校は集団でのスキルを磨くには最高の訓練の場である

だが個人で生きていくスキルを身につけるには難しい

私は学校に行かなくても十分に生活はできると思う

というか昔はそうだ


親が教育していたのだ

その家独自の作法や風習が代々継がれていき

それが多様性であり

「よそはよそ、うちはうち」

なのである


昔の方が今の時代よりも多様性がある

最近、多様性が大事と騒がれるようになってきた


であるならば

時代を発展させるのではなく

逆流させる感覚がむしろ

多様な生活を実現するのである




学校に行っている子でいきたくないという子供がいたら

「行かなくてもいい」


学校に行かせたくない親がいたら

「行かせなくていい」



その理由

学校で教えられることは

親であるあなたが教えられる

なんでかというと

学校を卒業したからである

人は学校で得たもので必要なことを

使って生きている

ということはいらない知識、能力もあるのだ

覚えていないことは使っていないから覚えていない

いらない知識はあげたらキリがない

歴史の年号を覚えているだけで何個あるか?

算数の公式をいくつ覚えているか?

言われれば思い出す

というか思い出す機会がない

言ってみれば

使っていないのである

言い換えれば生きていく上で

必要ないのである


必要ないのであれば、学ぶ必要はない

無駄に学んでいた時間を好きなこと、やりたいこと

自由にさせたほうが

僕は子供のためになるし将来のためになると思う

勉強が大事と思うならオンラインで十分に教えられる

対面でする必要性はない

学校に行くことでつく教養よりも

いじめや、コンプレックスの増強

それによるネガティブマインドの方が大きく

時間とお金と労力に見合う投資とは

私は思わない



まとめ

多様性を生きる中で学校は明治、大正、昭和、平成

の延長線である

教育について人類は

任せっきりである

電気、電波の自由化と同じように

多様性のある生活様式が普及するためには

子供が受ける教育の自由化というのも

今後起きてくるだろう。

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